日本宗教学会第59回学術大会 (於駒澤大学) 2000年9月15日 (金)
黒崎浩行
現代社会において、メディア・コミュニケーションの普及は、時間・空間を越えた社会関係の構築を可能にしている要素の一つである。そこで構築された社会関係は、時間・空間に限定された状況のなかにも現れてくる。「いま・ここ」で結ばれる生の人間関係を待望することも、それを越えて通用する人間関係を支えている技術との相互作用抜きではなしえない。社会学者ギデンズが「脱埋め込み」と「再埋め込み」という用語で照射した現代社会に特有のこのような事態は、宗教的な共同性のありかたにどのように影響しているのだろうか。
この問題について検討するため、メディアと宗教運動の関係についての先行研究を振り返ってみると、メディア布教の実態についての基礎的なデータの蓄積以上に踏み込んだ研究がなされていなかったことがわかる。これについては次のような指摘がある。一九七〇年代以降の日本の宗教社会学の主要な研究対象であった新宗教運動は、孤立した個人間の「話合いの場」を求めるものであったのに対し、一方向的なコミュニケーション形態である宗教放送は、これとは相容れず、テレヴァンジェリズムの隆盛をみた米国とは全く異なる衰退をたどった。これは妥当な見方だと思われるが、その場合でも「話合いの場」を補助的に支え、その自覚を促したメディアの存在、たとえば体験談の流通、をさぐることは可能であったと思われる。
一方で、一九九〇年代以降のCMC(コンピュータを介したコミュニケーション)をはじめとする双方向的なコミュニケーション技術の普及は、この「話合いの場」とむしろ相容れる面をもっていると言えるだろう。しかし、これを調査フィールドとしたとき、これまで研究主体が先入観を脱して宗教理解を深めていくためのプロセスとして現地調査が重視されてきたことを、どのように考慮するかが問われることになる。
CMCの場合、会話的な文脈を参加者どうしがシミュレートするという相互行為過程をとらえることが一つの有効な鍵になるだろう。それはまさに「脱埋め込み」と「再埋め込み」のプロセスでもある。ここではとくに「参加」の場面に注目して、クリスチャンによる小規模のメーリングリストの事例をとりあげ、「参加のシークエンス」、「完結的な投稿と非完結的な投稿」、「現実生活とのかかわり」の3点にわたって分析する。
そこでは次のような電子コミュニティとしての特徴があることがわかった。(1)時間に制約されないメディアを用いながら、時間に制約された、同時的なコミュニケーションを志向している。(2)完結したまとまりをもつメッセージよりも、日常的、私的な内容のほうが、活発なやりとりを持続させている。(3)参加者の私的な問題へのかかわり方については、現実生活と同等のコミットメントが求められる。
このような特徴はすべての電子コミュニティに共通するものではなく、あるベクトルをもったものだと考えられるが、そこには、現実のキリスト教教会に対する自覚的な批判が見えかくれしている。このことは、現実社会とのバランスのなかで解体と再構築を繰り返す宗教集団のダイナミズムに電子ネットワーキングの存在が影響を与えつつあることを示唆している。
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