諸宗教のインターネット利用

『神社新報』平成10年(1998)10月26日号 (第2481号) 5面
黒崎浩行 (國學院大學日本文化研究所専任講師)

 八月二十日、神社関係二団体主催によるイ ンターネット利用の研修会が東京都台東区の 矢先稲荷神社で開催された。その模様は、本 紙九月十四日号に伝へられてゐる。この研修 会に私も参加させていただき、神社および日 本国内の諸宗教のウェブサイトのいくつかを、 比較しつつ紹介した。本稿ではこのときの報 告内容をもとに述べさせていただきたい。

 まず、世界および日本国内の宗教ウェブサ イトはどれくらいあるのだらうか。その正確 なデータを得ることは実は容易ではない。参 考のために、Yahoo! といふ著名なサーチエ ンジンに登録されてゐる数字を挙げると、十 月一日現在で一五、六一二であり、一方日本 版の Yahoo! JAPAN に登録されてゐる宗教サ イトは一、二六〇である。

 同じく Yahoo! JAPAN の登録データを手が かりに、日本国内の宗教ウェブサイトの宗教 別一、二二三サイトの内訳を見ると、神道九 三(七・六%)、仏教四二〇(三四・三%)、 キリスト教五八七(四八・〇%)、その他一 二三(一〇・〇%)となってゐる。文化庁 『宗教年鑑』所載の単位宗教法人の系統別内 訳(神道系四六・六%、仏教系四二・四%、 キリスト教系二・二%、諸教八・八%、平成 八年十二月三十一日現在)と比較してみても、 日本の宗教分布と大きな隔たりがあることが わかる。

 かうした実世界とのズレは日本だけの現象 ではない。キリスト教世界では、ローマ・カ トリックの信者数は全キリスト教人口の半分 以上を占めるが、カトリックのウェブサイト はキリスト教ウェブサイト全体の四分の一に 満たない。カトリックでは教会の権威と聖職 者の位階制が支配的なため、双方向的で水平 的なコミュニケーションをもたらすインター ネットの利用へと向かひにくいのだといふ指 摘がある(Jeff Zaleski, The Soul of Cyberspace, 1997)。この見方が日本の場合 にもそのまま敷衍できるかどうかは検討の余 地がある。

 次に、それぞれのウェブサイトの内容を、 ここでは大まかに「自己開示」「世論へのア ピール」「ヴァーチャル儀礼」「集会・相談」 の四つに分けたうへで、特徴的なものを見て いきたい。

 「自己開示」とは、教団の沿革・教義など の紹介や、行事などの情報提供を行ってゐる ものである。ほぼ全ての宗教サイトは本来的 にこの要素があり、そこに宗教ごとの大きな 違いはみられない。ウェブといふコミュニケ ーション形態は、発信者による一方向的な自 己呈示にとどまりがちで、インターネットの もつ大きな社会的インパクトである双方向的 な相互行為性は、電子メールなどの他の形態 にくらべて弱いといはれる(川浦康至「開く ――パーソナルホームページの世界」『現代 のエスプリ』平成十年五月号)。したがって、 自己開示のほかに何を付加するかが、宗教ご との大きな特色を表すことになる。

 「世論へのアピール」とは、マスメディア に乗りにくい主張や活動を、独自に広く世論 に訴へるためにインターネットを活用してゐ るものである。米国では、保守派およびリベ ラル派のキリスト教諸団体による政治的主張、 反カルト運動によるカルト団体情報提供とカ ウンセラー紹介、宗教的マイノリティーによ る権利保護の訴へなどが、インターネット上 で繰り広げられてゐる。日本での例を挙げる と、「女性と仏教を考えるネットワーク」は、 フェミニズムの立場から宗教(仏教)と性差 別をめぐるさまざまな問題をとりあげてゐる。 また、川島堅二氏(恵泉女学園大学)による 「カルト情報・資料センター」は、国内外の 宗教的カルト団体に関する情報と、関連情報 へのリンク集を提供してゐる。

 インターネットの利用者は一つの画面を通 して、多様な宗教や宗教批判、また宗教を装 った経済行為などとの並立・併存状況を目の あたりにする。そのなかで正しいものを選択 する能力はどのやうにして養われることにな るのだらうか。日本では「世論へのアピール」 に相当する内容のサイトはまだ少ないが、米 国での状況をかいま見るにつけ考へさせられ る。

 「ヴァーチャル儀礼」は、参拝や墓参、修 行、占ひなどの儀礼行為をウェブ上で行へる とするものである。神社の参拝やおみくじの 例は本紙新年号や『産経新聞』平成九年八月 二十四日号などにも紹介されたのでご承知で あらう。仏教で注目されるのはお墓参りであ る。なかでも観音院(広島県広島市)の「バ ーチャル霊園」は有名で、多くのマスコミに 取り上げられた。このほか、本願寺大谷WEB (京都市東山区)では「電子写経」として、 経典を入力して送信してもらふ仕組みになっ てゐる。

 ヴァーチャル儀礼とされるもので焦点とな るのは、その狙ひがあくまで実際の神社・寺 院等に参拝するための呼び水、宣伝効果にあ るのか(疑似 (pseudo) 体験)、それとも正 統な儀礼を遠隔地に住む人々にも提供するこ と(言葉本来の意味でのヴァーチャル (virtual)体験)なのか、といふことだと思 はれる。後者の場合、いづれ教義との関係や 教団運営上の問題をクリアする必要があるは づで、現在先鋭的に取り組んでゐるサイトが 今後どのやうに対応していくのかが注目され る。

 「集会・相談」は、電子メールやメーリン グリスト、BBS(電子掲示板)などの、ウ ェブ以外の双方向的な手段も利用しながら、 身の上相談やカウンセリングなどの場を提供 し、時間的・空間的な隔たりを超えたパーソ ナルな結びつきによる癒しをもたらさうとす るものである。有名なものでは善照寺(浄土 宗、千葉県市川市)の「懺悔室」がある。電 子メールで懺悔を受け付け、住職がこれに回 答する。近代的な臨床心理学の知見を取り入 れたものとしては、林浩司氏(米国アイダホ 州在住、聖公会牧師、牧会カウンセラー)の 「ふれあいの窓」があり、こちらも電子メー ルで相談を受け付けてゐる。また、ニューエ イジ系では「1998ソウルメイト・コミュ ニティ」が、前世の記憶を語り合ひ、「ソウ ルメイト」を探し求めるための掲示板を提供 してゐる。かうした活動の存在は、既存の社 会関係のなかには求められない救ひや癒しを、 インターネットのなかに求めていく傾向を予 想させる。

 今日、コンピュータ・ネットワークとそれ らを相互につなぐインターネットは、電話網 に匹敵する通信インフラとして、現代日本人 の社会活動のさまざまな局面でますます重要 な地位を占めつつある。宗教活動にとっても これはあてはまるだらう。既存の宗教団体が 新たな布教メディアとしてコンピュータ・ネ ットワークを利用しつつあるといったことは むしろ現象の一面にすぎない。コンピュータ・ ネットワークのコミュニケーション特性に伴 ふ社会構造や人々のメンタリティの変化に、 現代日本の宗教がどのやうに関はり、対応し ていくのかに注目する必要がある。

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Last updated on: Nov 18, 1998.

Hiroyuki KUROSAKI <hkuro@kokugakuin.ac.jp>