批評の会は宗教研究を行う主として若手の研究者が集り、 相互批判と交流の場として、1995年1月に発足しました。 本会では特に「近現代日本の宗教研究」にターゲットを絞り、 広く宗教学、社会学、民俗学、人類学、心理学、哲学、歴史学等の各分野から これに携わる研究者を募り、学際的な議論の場を形成することを目指しています。
その基本方針は以下の通りです。
この約1年間は上記の方針に基づき、合評会や講演、討議という形式のもとでの 最前線の「宗教研究」の成果の検討、 メンバーによる個人発表、討議を行ってきました。 これらの活動をより建設的かつ発展的なものにすべく、 事務局員は以下に掲げるテーマを年度頭に設定し、 上記活動は基本的にこのテーマに沿う形で行われてきました。
基本テーマ「宗教研究の批評的検討」
年間テーマ(1995年度)「近現代日本の宗教における変わるものと変わらないもの」
批評の会の研究活動の中心には基本方針5に示された 「研究者の研究立場の自己言及的検討」があります。 研究者が必然的に陥る自己言及性の問題は、 「宗教研究」に関していえばそれを行う研究者の立場の存立根拠への ラディカルな問いかけ、という形で言い表すことができるでしょう。 すなわちそれは一方においては19世紀において「宗教学」が「神学」から 自らを分離する際に行われたであろう認識論的な問いかけであり、 また一方では20世紀の諸学問が常に念頭においてきたと思われる現象学的な問い、 つまりは「研究主体」と「研究対象」の関係性の問題に還元されるでしょう。 この問題は、これまでの「宗教研究」の中で十分に検討され尽くしたとはいえません。 そこで我々は研究活動の前提となるメタ・レベルの、 認識論的なレベルのこのテーマを、 「宗教研究の批評的検討」として基本テーマに据え、 今後は研究者の認識枠組みの検討作業を一貫して追及していきたく考えています。 3.では各分野での宗教研究の在り方をこうした立場から 概観してみます。
また、本会の相互批評の作業における共通基盤の共有のために、 今年度の年間テーマを「近現代日本の宗教における変わるものと変わらないもの」と 設定しました。 日本の近代化過程において、「宗教」は多くの「変容」を遂げ、 またその一方で、近代以前との「同一性」を保持しながら展開してきたと 考えられます。 そこで本会では近現代日本における宗教現象・知識・体験等の「変容と同一性」 あるいは「変わるものと変わらないもの」を、 各専門分野・各調査テーマから検討することを今年度のテーマとしてきました。 その成果はまだはっきりとは形になっていませんが、 来年度以降の活動においてこれまで議論されたことを十分に生かしていくことが 必要であると考えています。
以下に、本会のこれまでの活動経過を示します。
本年6月に行われる「宗教と社会」学会第4回学術大会での本会有志による ワークショップの企画案「1980年代・宗教研究を読みなおす−『ポスト宗社研』の 課題と展望」が採用されました。 今後5月までの月例会においてはワークショップにおける報告予定者が 中間報告を行い、各回の参加者との討論を通じて、 問題意識や議論のレベルを高めておきたいと考えています。 皆様の積極的なご参加と活発な発言を期待しています。
ここでは本会の活動における基本的姿勢である「宗教研究の批評的検討」を より具体的に示すために、 事務局の初期メンバーである4人が4部門における宗教研究の批評的検討を 試みてみました。 もちろん宗教研究はこれら4部門のみで行われているわけではなく、 ここで敢えて4部門に絞ったのは現事務局メンバーがほぼこれらに包摂される という現実的な問題によるものです。 付け加えるならば、 各部門の担当者の研究視点はそれぞれの部門に完全に包摂されるわけではなく、 ここではあくまでもテンポラリに「何々学の誰々」になりきって頂いていること、 さらにはこれもまた当然のことですが各人がそれぞれの部門を代表しているのでも ありません。 ただ、ここで強調しておきたいのはこのように多様な分析視点が可能な、 あるいは形成されてきた「宗教」なるものの正体に 少しでも近づくには一度そのすりあわせを試みてみること、 すなわちある意味で学際的な「宗教研究」研究というメタレベルの視点を 一度持つ必要があるということです。 ここでは4部門に絞っていますが、 私見ではそれぞれの読み合わせから何か抽出できそうなことと、 その何かは別の分析視点を持つ会員のどなたかが同じような形で その立場を代弁して頂くことでさらにはっきりしてくるものと思います。 投稿を歓迎します。
(黒崎浩行)
宗教学は、研究主体自身の属する宗教伝統に対して中立的な距離をとり、 他の伝統との比較を通じて、より一般的に「宗教とは何か」と問うことから はじめられました。 しかしそこには、二つのことが乗り越え困難な課題として待ち受けていました。 ひとつは、他の人文社会諸学が扱う領域とは区別して固有の精神活動の領域として 「宗教」という概念を確保することの妥当性の問いです。 もうひとつは、そのようにしてみた宗教という対象は実に多様であり、 それと相関してさまざまな研究方法が試みられることの不可避性です。 両者はコインの表裏と言えなくもありません。 一方で「ホモ・レリギオースス」を提唱する宗教現象学派を、 他方でエリア・スタディとしての総合的な学際研究への志向を 産み出してきましたが、 課題そのものの自覚が膨大な資料蒐集と専門分化のなかで 等閑視されがちであったことは否めません。
1975年の宗教社会学研究会発足をひとつの起点とし、 『新宗教事典』(1990年)において結実した一連の新宗教研究では、 新宗教の「教え」の分析において、 「内在的理解」というキータームが用いられました (対馬・西山・島薗・白水「新宗教における生命主義的救済観」1979年)。 これを先の文脈に照らせば、近代日本における独自な宗教意識のありかたとして 新宗教の救済観を提出するさいの、 妥当な方法の探求によってもたらされたものであると言えましょう。 ここでの「内在的」という語は、 従来二律背反的に捉えられてきた新宗教の「現世利益」と「救済」との関係を、 内部整合的に把握できるような教説(「生命主義的救済観」)の再構成をめざす、 というほどの意味にもとれますし、 教祖や信者個人の内面性に深く分け入っていくという意味にもとれ、 方法論的にはやや瞹昧なところがあります。 しかし、「内在的理解」の語は外国の宗教理論の適用や宗教批判的な言説に抗して 濫用されていったきらいがあり、 また提唱者の一人である島薗進によってのちに「対象との共感を前提とする」と 再定義され、客観的・批判的分析と対抗ないし並行するという関係が強調されました (島薗「宗教理解と客観性」1992年)。 こうした流れには、民族学・人類学におけるフィールドワークや 社会学における現象学的社会学、エスノメソドロジーなどの影響を 見逃すこともできませんが、同時に宗教研究に〈内在〉する課題として、 ある対象を宗教的な固有性において把握しようとすることをめぐって、 反省と相互批評を重ねていくことが今後ますます重要であると考えます。
(川又俊則)
日本の民俗学を語るならば、 1962年の死去から30年余りをへた現在でも柳田國男に触れないわけにはいきません。 彼の主張した調査法である、民俗資料を採集し記録するという作業は、 現在でも基本として継承されています。 しかし、その死によって、それまでの、 各地方の民俗資料を地方在住者が忠実に採集して柳田に報告し、 柳田と一部の研究者がそれを分析するという研究方法は、 事実上不可能になりました。 そして、調査と研究は分離せず、不可分なものであるという認識が、 それ以降の研究者に持たれるようになりました。
高度経済成長期に突入した日本では、 それまで民俗学の主たる対象であったムラ(=農村・漁村・山村)が、 都市化の波にさらされて変質、あるいは消滅するという状況になりました。 民俗学者たちには対象の不在という危機がおき、そこで彼らの中には、 都市を対象とする者や民俗変化、東アジア諸国との比較を重視する者も出てきました。 一方、多くは昭和40年(1965年)頃から始まった『市町村史』の編纂の中、 「民俗」の項目が設けられたことから、 一部の者たちはその作業に腐心することとなります。 そして、現在では多くの地方で民俗研究会が発足し、自らの雑誌を発行しています。
1970年代になると福田アジオらが柳田批判(例えば、 柳田の主張した重出立証法における変遷の説明に対しての批判や、 民俗事象の類型化と比較だけではない個々の地域に注目した研究の提案)を 起こしました。 民俗学者たちは、隣接諸科学、特に人類学から多くの刺激を受けましたが、 例えば民俗語彙をそのまま学術語として採用することが多いということからも、 対象と研究者との位置に関して自覚的な問いかけは見られませんでした。 どちらかというと、自らを他と区分した独立の科学として説明することに、 多くの労力を費やしていました。 例えば、かつては研究対象が「常民」であるという主張をしましたが、 実際の社会を分析する枠組みとして使用するのに無理があるという見解となり、 近年では「伝承」が対象だといわれますが、 これとて論者の視点の相違を確認するだけに止まっています。
1980年代以降、大月隆寛・重信幸彦などの若手研究者たちによって 「民俗学」に対する認識論的な問いかけがなされました。 特に、『国立歴史民俗博物館報告』の第34集や第51集では、 民俗学の枠を超えた特集が組まれました。 以降、筑波大学高桑ゼミなどで「民俗誌」に関する議論がなされたり、 近年の日本民俗学会での幾人かの報告などで興味深いものがあったりしますが、 それが単発のものなのか、学問分野全体への揺り動かしとなるのかは まだ明らかではありません。
ただし、例え学問体系として未成熟段階ではあったにせよ、 ムラへ入り聞き取りを行うことで、 歴史学がフォローし切れていなかった各地の民間信仰や宗教史において 多くの研究蓄積をなしたのは、まぎれもなく民俗学の一つの成果でありましょう。
(大谷榮一)
社会学における「研究主体」と「研究対象」との関係性の問題は、 20世紀初頭のマックス・ヴェーバー以来、つねに問題化されてきました。 ヴェーバーの理解社会学とは「社会的行為を開明的に理解し、 それによってその経過と結果を因果的に説明しようとする一科学」 (『社会学の基礎概念』1922=1953)のことです。 ここでの社会的行為とは、主観的意味が付与された人間の行動を意味しています。 この社会的行為を理解するために、「研究主体」は一定の価値観点から、 その社会的行為を類型的に把握することをめざします。 「研究主体」の一定の価値観点にもとづく、 「研究対象」としての行為者の社会的行為の解明的理解こそが、 ヴェーバーの理解社会学における「研究主体」と「研究対象」の関係性の 基本的構図です。
戦後日本の宗教社会学研究、とくに「宗教社会学研究会」(1978-1990)の メンバーを中心とする1970年代後半以降の宗教研究において、 「内在的理解」という認識論的視座が提出されました。 そこでは、「研究主体」と「研究対象」の関係性はどのように 位置づけられているのでしょうか。
「内在的理解」とは、対象への「客観的・批判的分析」のもと、 「対象との共感」を前提とした「当事者の立場に即した理解」の在り方であり、 しれが「客観的」に「説明」される、とした対象理解の認識論的視座のことです (島薗進「宗教理解と客観性」1992)。
つまり、「内在的理解」とは、「研究主体」が「研究対象」たる行為者の 宗教的な思念や行為の意味を、行為者の立場に即して対象内在的に 理解する対象理解の認識論的視座であり、 この「研究対象」への内在という「研究主体」のスタンスにこそ、 重要なポイントがあります。
この「内在的理解」の成立の背景には、アルフレッド・シュッツ、 ピーター・バーガーやトーマス・ルックマンらの現象学的社会学の影響があります。 すなわち、宗教を「社会的行為者の状況解釈(現実構成)の中核をなすものとして 捉え直そうとする」見解(望月哲也「聖俗世界への解釈視覚」1982)や、 「主体の世界像を主体による自己経験の意味づけにさかのぼって内的に 理解しようとする」見解(対馬路人「宗教的超越世界の『現実的』存立」1980) などに、その痕跡を見出すことができるでしょう。
今後、「内在的理解」における「研究主体」と「研究対象」との関係性の問題は、 宗教研究における認識論的問題として、両立場の区別やその連関、 また対象理解における「客観性」の問題などを通じて、 さらに厳密な検討を必要とすることでしょう。
(平山 眞)
人類学、あるいは民族学は19世紀後半の欧米社会においてモルガンやタイラーを 嚆矢として一個の学問分野として確立されましたが、 そこでは主として「アニミズム」や「トーテミズム」といった 主に「未開」社会において見られるとされた宗教現象が当初より扱われていました。 今世紀初頭までに至るある期間においては、 草創期の人類学者達がそれらを扱うに当たって 19世紀における学問上の最大のパラダイムであった 進化論的解釈がなされた結果として、呪術から宗教へ、 あるいは多神教から一神教へといった宗教の発展段階説のような学説が唱えられました。 もちろん、今日では、それらは当時の欧米の知識人である人類学者達が 自らの進化論的世界観を、 「未開」社会や「文明」社会という共時的に存在する社会の様々なあり方を 幾分無理なこじつけによって 通時的な図式に変換し反映させていたにすぎないことが暴露されています。
さて、今世紀に入っては、人類学の目指すものとしては 進化論とは別のあり方として現れてきた、 幾分植民地政策の一環として行われていたともいわれる 「異文化理解」という問題への一つの解答として、 例えば1920年代にマリノフスキーやラドクリフ=ブラウンによって明確な形を取る 機能主義人類学が、 私見では当時の現象学の隆盛や物理学における量子力学・相対性理論の確立、 あるいはゲーデルによる「不完全性定理」の証明等を背景として、 以上に述べたようなそれ以前の、 報告者の「主観」に基づく認識不足を数多く含む「民族誌=旅行記」をもとにした 「要素主義的」な進化論や伝播論を唱える人類学への批判を込めて、 参与観察と実地体験に基づく「内在的理解」の重要性を唱えました。 しかしながら、この問題はレヴィ=ストロースの行った構造主義的見地からの 機能主義批判、すなわち、「トーテミズム」や「神話」に対する 機能主義における「理解」は結局のところ 近代合理主義的な思考基盤による事実誤認に基づく、という論点に繋がり、 ここで再び「研究主体」の存立根拠の危うさが問われます。
この西欧の研究者達が持つに至った自己の存立根拠への疑義という ラディカルな問題意識は1960年代のフーコー、ラカン、アルチュセールなどの 「構造主義者」と見なされる人々、あるいは様々な分野に広がった ポスト・モダン的な視点にも共通するものといえます。 構造主義のもつインパクトは、その後人類学においては 記号論や象徴論といった分析手法にも受け継がれているものですが、 いかなる場合においても研究主体と研究対象の存立根拠の違い、 あるいは研究者が自らの存立根拠からくるところの 主観的憶測に陥りやすいことを念頭におくことは 忘れるべきでないということは通底していたものと思われます。 これはまたパイクの造語になるところの エティック(研究者側の持つ分析概念)/エミック(研究対象の持つ民俗的概念)は 明瞭に分離されるべきであるという 主として今日における解釈人類学や知識人類学と呼ばれる領域で 問題としている問いかけでもあります。
*(事)=批評の会事務局員
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