第9回 1996年2月24日(土) @東洋大学
(1)「宗教と社会」学会・ワークショップ準備討論#2:宗教と「語り」−信者間の相互作用をめぐって−
報告者:菊池裕生氏(上智大学大学院)
経過:基調報告では
i)これまでの新宗教研究のミクロ・アプローチへの批判、
ii)「語り」と信者としての自己の構成−信者間の相互作用とそのプロセスをめぐる課題、
iii)方法としての「語り」の分析−その可能性の模索、
という3点が中心テーマとなっていました。
討論では、具体的事例の提示の必要性が指摘され、
それに対して菊池氏の調査している教団に関する事例紹介があった他、
菊池氏が「新宗教」や「信者」を定義した後で議論を展開していることにつき、
論点先取ではないのかという疑問が出されました。
定義を巡る問題は、我々の課題として常に頭の隅に止めておく必要の
あることが再認識されました。
(2)研究報告:「回心」研究におけるライフヒストリー法の利用
報告者:川又俊則氏(成城大学大学院)
経過:報告では、従来から行われてきた「回心」研究の批判的継承を目指して、
その調査・研究法として「ライフヒストリー法」を利用することの有効性が
提示されました。
討論では、インフォーマントの主観によって
そのライフヒストリーが形成されてしまう可能性や、
そもそも意識されていなかったインフォーマントの「ライフヒストリー」が
調査者が介入することで新たに作り出される、
あるいは変容してしまう可能性があることなどが指摘されました。
これもまた、宗教現象・行動の「内在的理解」に関する議論につながる
アポリアであるということが、繰り返しになりますが、再認識されました。
第10回 3月30日(土) @東洋大学
(1)「宗教と社会」学会・ワークショップ準備討論#3:宗教運動論の課題と展望(中間報告)
報告者:大谷榮一氏(東洋大学大学院)
経過:基調報告ではまずこれまでの宗教運動論研究について整理が行われ、
さらにその社会運動論との関係性が示された後、
宗教運動論研究における「構築主義的アプローチの可能性」が提示されました。
討論では、前回と同様に事例の提示の必要性が問われ、
また、より本質的な課題として「宗教運動」と「社会運動」を分け隔てる
指標をどう設定するか、という難題が浮上しました。
(2)研究報告:内在的理解−from and/or about
報告者:角田幹夫氏(郵政国際協会)
経過:報告では諸学問における認識論上のアポリアである「内在的理解」をめぐって、
宗教研究にとどまらず、人類学における異文化理解や、
政治あるいは権力構造分析との関わりが論じられ、
さらにはそもそも「社会(人間)科学者とは何者なのか?」、
という重要な指摘がなされました。
討論では研究者が研究対象である集団ないし個人に「内在すること」、
そしてまたそこで把握されたものを「記述すること」の困難さが検討されました。
去る4月13日(土)、 本会主催の『第1回修士論文発表会』が東洋大学白山校舎にて開催されました。 開始直後はまばらだった参加者も、時が経つに従って次第に増え、 盛況のうちに会は終了しました。 ご参加下さった皆様、ありがとうございました。 そして発表者の皆様、お疲れさまでした。 今後なすべき課題も多く残されていると思いますが、 色々な意味で興味深く、示唆に富んだ発表であったと考えます。 全体討議では参加者個々人の立場から様々な意見が出されると同時に、 発表者にとってはかなり厳しい批判もなされ、 その結果白熱した議論が展開され、結局予定時間を1時間以上も超過してしまいました。 反省点も多々ありますが、宗教研究者間の学際的な議論の場を設ける、 という本会の目的からすれば、今回の企画は一応成功ではなかったかと考えています。 第2回の修論発表会(来年4月に開催予定)はもとより、 このような機会が当会の月例会では毎回用意されております。 発表者として、そしてまたそれに対する積極的な発言者として、 皆さんの参加をお待ちしています。 自身の学問的位置を確かめ、かつより洗練されたものにしていくためにも、 我々若手研究者にとりこうした機会は貴重であると考えます。
以下に、3名の発表内容の要約を掲載します。 なお、井上治代氏と小池靖氏の発表については要旨入稿が遅れましたので、 次号に掲載します。 これをもとに、当会の今後の月例会に参加下さった際に、 あるいは個人的にコンタクトをとるなどして意見交換がなされれば、 双方にとり有意義であると考えます。フレッシュな意見や疑問は、 フレッシュなうちにどうぞ。
(1)「家族の不連続化と墓の継承−新潟県西蒲原郡M寺の檀家調査を中心に−」
報告者:井上治代氏(東洋大学)
(2)「日中洗骨改葬習俗の比較研究−福建省西部と沖縄文化圏の例を中心に−」
報告者:蔡 文高氏(成城大学)
概要:洗骨改葬は、東アジアの日本の沖縄文化圏、朝鮮半島、南部中国や、 束南アジア諸地域などに広く見られる、死体を複数回処置する葬法である。 日本においては、洗骨改葬は、沖縄文化圏の葬制を考える場合にも、 また日本全体の葬制を考える場合にも、大きなキーワードであると言われている。 一方、中国においては、洗骨改葬はその歴史が原始時代に遡れ、 今でも南部中国の江西省南部、福建省西・南部、広東省東部などの地域に 行なわれている現行習俗である。
沖縄文化圏の洗骨改葬が、文化交流の多かった南部中国、 特に福建省の洗骨改葬とどのような関係を持っているのかなどの問題は、 早くから日本の研究者に注目され、比較研究がなされてきた。 そして、多くの研究者は、沖縄文化圏の洗骨改葬がその起源成立にあたって、 南部中国の洗骨改葬の影響を受けていたと指摘した。
そして、今までの、日本における両地域の洗骨改葬についての比較研究は、 研究の動機が主に沖縄文化圏の洗骨改葬の起源成立を解釈するためであるので、 ほとんど両地域の洗骨改葬の類似面に注目して影響関係をめぐって行なわれている。 また、南部中国、特に福建省の洗骨改葬を論じる際、文献資料はよく使うが、 現行習俗については、福建省のどこかを歩いて亀甲墓を見物した程度にとどまっており、 中国の洗骨改葬を系統的に整埋し、詳細な現地調査を行なった上でまとめた論考が、 管見による限り見当たらない。
しかし、両地域の洗骨改葬は、歴史上密接な関係を持っていることは予測しえても、 文化的・社会的・自然的生活環境が異なっているために、それぞれの変化が激しく、 現在に至って差異点はかなり多い。 このため、両地域の洗骨改葬の比較研究は、双方の影響関係の迫究のほかに、 現行習俗の諸要素を比較検討し、差異を明らかにさせ、 その差異発生の要因まで追究する必要性もある。
この考えに基づいて、私は両地域の洗骨改葬の比較研究を修士論文のテーマとして、 従来の類似面に注目する研究の視点から難れ、両地域の洗骨改葬の差異点に着目して 研究を展囲しようと考えた。
1995年中、私は2回にわたって福建省西部の長汀県でフィールドワークした。 その後、私はこの調査によって得た資科を用いて沖縄文化圏の洗骨改葬との 若干の比較を行なった。 その結果を簡単に要約すれば、両地域の洗骨改葬は共通点もあれば、 差異点も多い。 その差異は、主に(1)洗骨改葬の対象者の範囲、 (2)洗骨改葬儀礼に参加する者、特に実際に遺骨を清める者の死者との血縁関係、 洗骨改葬における女性の役割、(3)洗骨の手段、 (4)遺骨が足りない場合の対応方法などの点にある。 差異の発生は、両地域の民族文化伝統や人々の祖先観・死霊観などと関連していると 指摘できる。
討議:霊魂観や他界観、女性の葬礼への関与の日中の相違をめぐっての議論が 行われました。また、蔡氏が習俗・慣行が霊魂観や他界観をそのまま反映しているとは 限らないことに鈍感であること、及び、各島毎に多様な習俗・慣行「沖縄文化圏」と 一括してしまうことの危険性に気付いていないことであることが指摘されました。
(3)「仏教社会におけるシャーマニズム−タイ国都市部のKhon song信仰を中心として−」
報告者:神谷泰一郎氏(駒澤大学)
概要:仏教は、日本は勿論のこと、アジアを中心として世界中に信徒を抱える 世界宗教である。 しかしながら、アジア各地に存在する仏教国の宗教文化を比較した場合、 同じ仏教国といってもそれらが全く同じということはない。 その理由には様々なものが考えられるが、 その一つとして各国の仏教がその国独自の宗教観・世界観からの影響を 少なからず受けていることが挙げられる。
文化人類学における宗教研究では、一つの宗教文化の中には大別して 二つの宗教形態が存在すると考えられている。 つまり、 「崇拝・信仰対象に対して手段や効能を越えてただ目的的に関わろうとする営み」 である宗教と「ある目的を達成するための手段・方法として 超自然の存在や力(呪力)を利用しようとする営み」である呪術の二つである。 これらの両者は明らかに異なる形態を示すものの、 このような二分論はやはり理念型であって、 実際の宗教現象においては両者は複雑に絡み合っており、 その境界線を見いだすことは非常に困難である。
タイ国の場合にも、僧侶が呪術的行為をしたり、 シャーマニズムの中に仏教の影響が見られることがある。 そこで、今回はタイ国都市部に数多く存在するKhon songというシャーマンを 対象として、それとタイ国民の95%を包み込む仏教との関係を通じて、 これらの地域での宗教体系の構造を明らかにしていきたい。
討議:報告の中で仏教とアニミズムの関係性に関する タンバイアの論究を持ち出しているにも関わらず、 「ブン」の分配をめぐってのマナイズム的な宗教構造の在り方に言及していないこと、 及び「サンガ」−「コンソン」−「在家信徒」の3項関係の提示において、 余りに機能論的かつ相互補完的な図式に陥っていないか、という疑問が提示されました。
(4)「治療共同体としての新宗教−天理教のばあい−」
報告者:越智秀一氏(大正大学)
概要:本発表のポイントは、「治療共同体」(therapeutic community) として 新宗教をみることにある。治療共同体とは、本来精神医学の用語であるのだが、 発表者としてはこれを宗教社会学的概念として、定義しなおして援用したいと考える。
中山みきの周囲に集まった初期信者群は、みきの病気なおしを機に集団形成を行なう。 井上順孝も指摘する通り、民俗宗教と新宗教の治療技法には、実質的な差異はない。 そこで発表者は、民俗宗教と新宗教を分かつ大きなポイントとして、 治療者―被治療者の相互の役割取得 (role taking) と それに伴う集団形成を挙げたい。 ここでいう「役割取得」の概念では、リントン流の全体社会に位置づけられた 「役割演技」(role playing)とは異なり、行為者が他者との相互作用のなかで 主体的に役割を選びとることに主眼をおく。 初期の天理教では病気なおしを契機として信者たちは『家』や 村落共同体にしばられた「役割演技」から開放され、 神の子としての「役割取得」をおこない、 新たな世界観のもとに生きている自己自身を味わう。 これは中山みきにとっても同じことである。 例えばみきが飯降伊蔵に「つとめ場所」の普請を要求したことで、 萌芽状態の信仰集団が「場所」を獲得することになり、 みきは改めて生き神としての役割を、 そして伊蔵は神の子としての役割を取得することとなった。 同じく初期信者の増井りんの事例もとりあげてこのことを検証していきたい。 教祖を歓迎する信者の視線を内面化していくみきと、 みき(=神)の言葉によって生かされる信者の相互の役割取得によって 初期天理教は形成されたのである。 そこにおける情動の相互作用こそが、発表者が治療的 (therapeutic)な はたらきとみなすものであって、 それが共有される集団を「治療共同体」と定義するのである。
討議:「病気」、「病」、「疾病」の区別、それをめぐる「近代化」に伴う 人々の持つ観念の変化という医療人類学等の分野で提出されてきた問題が 俎上に載せられました。 また、A.クラインマンが提案したような、「民俗セクター」、「医療セクター」、 「家庭セクター」のような図式、つまり「治療共同体」である「天理教」とそれを 取り巻く社会との関係性の記述が欠落していること、 及び成立期の天理教がそうであると言い切ることは出来ないにせよ、 今日の新宗教がそもそも「治療共同体」などとはとてもいえない場合があること、 つまり「病気」を「先祖の因縁」などといった形で作りだしている可能性が 指摘されました。
(5)「アムウェイの宗教社会学」
小池 靖氏(東京大学)
*注:報告者の所属は平成7年度のものです。
*編者注:文中の「ポンチャック」なる語について一言。 宮野氏はこの語に関しては李博士のCDのタイトルのカタカナ表記を そのまま用いています。 また、同CDの英文タイトルを見ると“pon-chak”と表記されていることも 事実です(‘e・pak・sa/encyclopedia of pon・chak’となってます。)。 ですから、この件に関してのクレームはCD発売元にお願いします。 付け加えますと、ある韓国からの留学生にお尋ねしたところ、 この語はハングル表記では 「」で あることが指摘され、さらに『韓日辞典』(安田吉実・孫洛範編、民衆書林、1994)を 繙いたところ、この語の「発音」を強いてアルファベットで表記するなら 「bbong-jag」(bが二つあるのは誤植ではありません。 なお、編者にはうまく発音できません。)になることが分かりました。 辞典にはこの語が収録されていませんので、比較的最近の造語であると見られます。 なお、「」は「ポンという音」という意味を 持ち、 「」は漢字で書けば「作」になるようです。 あっさり「テクノ」と訳してもいいかも知れませんが、 編者は日本語?の「ブンチャカ」に近い単なるオノマトペのような気もしています。 この辺りの事情にお詳しい方はご一報下さい。
(1)新規会員を募集しています。 皆様の周囲の方で宗教とその周辺に関する研究を行っている方が いらっしゃいましたらお声を掛けて下さい。
(2)訂正
創刊号中の川又俊則氏の自己紹介の中でE-mailアドレスに誤記がありましたので、
訂正いたします。[抹消 2004-08-13]
月に2回の研究会はキツイです。 今月は論文も1本書かなければいけなかったし(まだ終わっていないのだが。)。 それから、修論報告会発表者の皆様、 かなりキツイことを言って(書いて)ご免なさい。 本当は「評価すべきを評価し、批判すべきを批判する。」というのが 「批評」の在り方だと考えていますが、 時間が短かった及び紙面が限られているということもあって、批判に徹しました。 でも、そこにはルソー・ベルクソンを読んできた私の「愛」が込められていることを ご理解下さい。 ちなみに私の今の師匠はもっともの凄いことを平気でおっしゃる方です (内緒ですよ。)。 さて、私は明日から半年ぶりのフィールド・ワークに出ます。 皆さんが充実した休日を過ごされることを祈念します。(1996/4/27 H,S.)