ミュンヘン

(2006-02-23)

『ミュンヘン』

スティーヴン・スピルバーグ監督、エリック・バナ主演の映画『ミュンヘン』を観た。 1972年のミュンヘン・オリンピックで起きた、パレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手11人の襲撃テロ事件。その報復のためにイスラエルが秘密裡に組織した暗殺チームの暗闘と苦悩を、リーダーのアブナー (エリック・バナ) を中心に描いた作品。

とにかく1972年という時代を、ファッション、車種、インテリアや電気製品、映像のざらつき感などで徹底的に作り込んでいる。カメラワークはドキュメンタリーっぽいが、ケレン味のあるサスペンスが随所に散りばめられている。一番印象に残ったのは、標的の男の妻と娘が家を出ていった後に遠隔操作で爆殺を実行しようとするが、娘が戻ってきてしまう。それがリモコンを操作する暗殺メンバーの視界に入っておらず、あわや……というシーン。こういったシークエンスの見せ方は、映画職人スピルバーグならでは。重いテーマ、2時間44分という長尺にもかかわらず、グイグイと引き込ませる。

アブナーたちは、謎の情報提供者ルイ (彼の目が物凄い。夢に出てきそう) の協力を得ながらどうにか着々と暗殺をこなしていくが、パレスチナ・ゲリラによるさらなる犯行をテレビで目にし、ミュンヘン事件の首謀者の後継者までターゲットに加えたりと、終わることのない報復の連鎖に苦悩しはじめる。米国やソ連の諜報部員の影もチラつくなか、祖国イスラエルのために戦っているなどという一筋縄ではいかない現実にいらだちをつのらせていく。そのうえアブナーにはイスラエルで待っている家族がいて、ターゲットの家族を暗殺の巻き添えにすることに強いためらいがある。

暗殺チームが崩壊し、どうにか帰還したアブナーは、家族とともにニューヨークに移住する。自分を狙う勢力の影におびえ、殺戮のイメージにうなされながらも、なぜ身の安全が保障されるであろうイスラエルにとどまらない選択をしたのか? その答えが、ラストシーンのイスラエル諜報部員との会話に集約されているようだ。

正確に覚えていないが、家に客を迎え入れるときに平和は訪れる、というようなことをアブナーは言っていた。補足するなら、ただ家に閉じ込もろうとするのみでは決して平和は訪れない、ということだろう。全編が映画職人らしいつくりなのに、このシーンでのアブナーの台詞だけインテリっぽく浮いた感じが否めないのだが、この映画のとりあえずの終着点として、また現在の私たちの世界に響くメッセージとして、深く納得させられた。

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