レポートコピペ問題

(2006-02-13)

ARTIFACT@ハテナ系 - レポートコピペする大学生は何のために大学行ってるんだろうか?

先週、期末レポートの評価を終えた。今回もまたあのことが気になった。

子供のころから作文を書いたり日記をつけたりするのが大の苦手だった。小学生のころ、日記には「○月×日月曜日 晴れ 今日は書くことがありません。」と毎日書きつづけた。本を読むのは大好きだったが、どんなに面白い本を読んでも、感想文を書くのはとても苦痛だった。今でも、文章を書き始められないときほど、苦しく、辛いことはない。

自分を書くことへと駆り立てるきっかけのようなもの (興味を惹かれる事柄なり、論理の展開なり、発想のひらめきなり、伝えたい相手の存在なり、……) が、なかなかつかめないのだろうと思う。

そういう悩み、苦しみを私自身が日々抱えているので、期末レポートを課す授業では、受講生にとって書き始めるきっかけとなるような「フック」をできるだけたくさん散りばめておくようにしている。といっても何か特別なことではなく、教師や他の学生への質問を毎回紙に書いて提出させるとか、3回に1回ぐらい短い小リポートを提出させるとか、グループ・ディスカッションをはさんでみるとかいった、おそらくどの先生でも試みておられるようなことだけれど……。

受講生が提出したレポートを読んでいて嬉しくなるのは、そういうフックが多少なりとも効いていたと確認できたときだ。反対に、授業でのフックにまるで無反応なレポートに出くわすと、この学生にとって私の授業は何だったんだろうとがっくりきてしまう。ネットの文章をコピペしただけのレポートはその典型だ。

そういうわけなので、私の授業のレポートの場合、ネットの文章をコピペしただけのものかそうでないかは、一読しただけですぐにわかってしまう。ただし、成績調査依頼に対応するために、念のため Google で検索して元の文章を見つけ、ハードコピーをとって提出レポートとともに保管するようにしている。 当然すぎることだが、コピペを見破るのは、コピペするのと同じくらい簡単だ。

この問題については、学生側のモラルや学習コスト意識の欠如 (せっかく学ぶチャンスをドブに捨てている、といった) を責める議論をよく聞くけれど、根本的には、学生が平然とコピペレポートを出すような授業にこそ問題がある、と自戒を込めて思うのだ。

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