お盆の供え物収集

(2006-08-18)

帰省中に読んだ地元紙の記事で一番気になったもの。

山陰中央新報 - 松江市がお盆の供え物収集日を変更

私が子供のころは、15日の夜、仏壇の供え物を持って家族で出かけ、線香を焚いている川べりの収集場所に置いて手を合わせて帰るのが、お盆の締めくくりの行事だった。その川べりには舟が着いていて、供え物はたぶんあの舟に積まれてどこかへ行くのだろうと想像していた。

それがいつのまにか、供え物は普通の家庭ごみと同様に半透明のポリ袋に入れるようになり、また収集もごみ収集車が行うように変わっていた。収集時刻も、以前は午後9時までだったのに、一昨年ごろから午後8時半となり、とうとう来年は、翌日以降に収集することになったそうだ。

この変化は、衛生上の理由、あるいは市の清掃事業の合理化といった理由によるものと思っていた。けれども、この記事では、

宗教的行事への行政の関与を問題視する市民の声を受けた市が、お供え物の収集日を変更するためで、

供え物の収集についてここ数年、市に「特定の宗教行事に、行政がかかわるのは問題」などの批判が一部の市民から寄せられ、

とあり、盆送りという宗教行事に行政が関与することに対する一部市民の批判が主な理由であるかのように書かれている。しかしそれはちょっとミスリーディングなのではなかろうか。

そのあたりについて確かめようと、松江市議会の議事録を検索してみた。

松江市議会 会議録」で「盆」を検索すると、「旧松江市議会 平成十六年第七回十二月定例会 12月09日-02号」の市長答弁の中で、この件について触れられていた(リンク)。

それによると、事の順序としては、(1)環境保全・衛生的な見地からの処理業務の変化→(2)存続を望む地域の声、その理由は「宗教性の強い習慣あるいは風俗」→(3)となるとそれに行政がどこまで介入できるか難しい→(4)自治会、町内会など地域の中で工夫を、ということになる。

もっと調べてみないと確かなことは言えないが、出発点はやはり環境・衛生行政上の合理化を進めたことにあり、それに対抗して存続を求める理由が「宗教的」なものであるならば行政の関与はいっそう難しいものととらえられ、その結果として現在に至ったのではないのだろうか。とりあえず、実際に行政の関与を批判した市民 (がいるとすれば) についても裏付けの取材をする必要があったのではないかと思う。

それから、来年から収集が16日朝になるという話を聞いたときに、行政がやらないならボランティアやNPOが15日夜の収集を代行するなどして、地域で習慣を残していくことができないものだろうかとチラッと思ったが、そういう動きがすでにあることは、この記事で初めて知った。

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