京都大学こころの未来研究センター「東日本大震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて」第6回シンポジウム

(2015-07-09)

今日は京都大学こころの未来研究センター「東日本大震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて」第6回シンポジウムに参加。

鎌田東二先生の趣旨説明につづき、玄侑宗久師「福島、いとあはれなり」、鈴木岩弓先生「被災地に誕生する“祈りの場”」、稲場圭信さん「被災地の記憶と震災伝承:気仙沼震災伝承マップの取り組み」、井上ウィマラ先生「津波復興太鼓:マインドフルネスとレジリエンスの視点から」、金子昭先生と私からのコメント、そしてディスカッションとなりました。

シンポジウムの内容はいずれ報告書として刊行されるそうです。

私からのコメントとしては、玄侑師が「あはれ」をdeep impactと解説されたのを受けて、「こころの再生」とは私たちの生存の条件を根底から問い直し、底を打ってから浮上するようなことだろうか、「生者と死者の接点」(鈴木先生)、「過去〜現在〜未来の伝承」(稲場さん)、「あいまいな喪失」(井上先生)もその経験につながっているのではないか、一方で「復興」の「経路依存」(小熊英二氏論文「ゴーストタウンから死者は出ない」)が指摘されているように、そのような問い直しが十分になされえないままにさまざまなことが進んでいる現状があるのではないか、ということを述べました。

このことに関し、井上ウィマラ先生から、日本社会はこれまでトラウマ経験をあまり表に出してこなかったという指摘があること(おそらくヴァン・デア・コルクによる『トラウマティック・ストレス』日本語版序文のことだと思います)、またリーダーや政治家へのケアが十分になされないと組織の判断を誤る、という応答があり、ありがたかったです。

そのほか、金子先生もコメントで拾った「トランスレーション型リーダー」(井上先生)というキーワードを鎌田先生が「仲執持」・「みこともち」と読み替えたり、被災地での霊能者の役割についてのフロアも交えての議論なども意義深かったです。

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